あの発表から3日~現在感情迷子~

 

一生かかってもお祝いなんてできない。

見たくない聞きたくない知りたくない認めたくない。怒り、悲しみ、寂しさ、悔しさ、辛さ。湧き上がってくるのは、この世に名のつく全てのマイナスな感情だと思う。

その時々で嵐として最善の選択をしてきた彼だと思ってたから、熱愛が出る度に心えぐられながらも、彼の誠意ある姿だけを見続けてきたつもり。メディアも、SNSも、世間の声も、結構スルーしてきた。そうあることで報われると思ってたから。

今回ここまで幻滅したのは、嵐のことを第一に考えて大事にしているという姿勢を嵐にもファンにも見せてきた彼なのに、ファンの気持ちを置いてきぼりにしていったから。

どんな思いで、一旦終わりを迎えることを知らされた上で、5人と一緒に歩んでいこうと決断したか。一生叶わない恋と知りながら、離れ離れになるときを恐れながらも全力でこの時間を過ごしているか。少しでも考えてくれていたら...。20周年で、残り1年で、コンサート2日前で、「結婚」なんてしないよ。まるで、ファンの存在を忘れているかのようでしかない。

嵐を大事にして、嵐だけは譲れなくて、嵐のために生きている人だと思ってたから、全部全部信頼してた。嵐を大事にすることがイコールファンを大事にすることになってるっていう自分の中の方程式だった。でも、このことで、彼が大事にしている嵐の中に、ファンの存在はないって思った。

だから、裏切られたと思った。信じていたものは、もともとなかったんだなと、落胆した。

彼の幸せは、嵐の中(休止前の大事な時期に結婚したこと発表したことで)ではないところにあることに、心から幻滅した。

Twitterで、よーく見かけたけど「今じゃない」この言葉に尽きる。休止期間に入ったら結婚するメンバーが出てくることは、想像したことがある。申し訳ないけれど、きっと休止後だって、もし休止発表をしてなくて迎えた21年目以降だって、祝福はできない。(ごめんね、こればっかりは好きだから) でも納得はする。ファンが傷つくことを最小限に抑えてくれるタイミングだったら、大事にしてくれてることがわかるから。だって、アイドルって幸せにしてくれるおしごとじゃないの?不幸のどん底に落とすのはそれじゃないでしょ。

 

結婚するなとは言えない。幸せをもらっている分。いつでもどんなときでも、幸せを願っているに決まってる。でも、本当は、自分に見せてくれているアイドルとしての顔をしているときが、彼にとっても幸せであって欲しいと願ってしまうもの。ファン(わたし)とは自分本位で自分勝手なもので。嵐として嵐の輪の中で本当に楽しそうにケラケラ笑う君だから、永遠に本気で片思いしてるんだよ。大切にされてるって思いたいよ。好きだから、こうして苦しんでる。

 

あなたの結婚を喜べる人だけ、着いてこればそれでいいの?どうしたらこの時期を選ぶに至るの?置いてきぼりの人いるよ。

 

ねえ、そして、それもしかして、嵐の他の4人の中にもいたりしない?

あなたの決断、嵐の未来に影を落としてない?

きちんと4人と話し合った?向き合った?その上で決断下した?

嵐は頭のいい人たちだから、「結婚」の示す意味を分かっているはず。ファンとの関係性の変化をもたらすことくらい想像出来ているはず。それでこんな結果になりうるの?

 

このことで、もし彼が「結婚」を押し切るようなことがあったなら、彼を止められなかったのなら、彼に諦めてしまったのなら...嵐が嵐を守れなくなってたら。そう思うと不安と恐怖で押しつぶされそうになる。

かたや、彼ほど頭の切れる人が、人の気持ちに敏感で繊細な人が、こんな道(ファンが傷つくこと、一歩間違えれば4人との関係性を変えかねないこと)を選ぶことが信じられない。

 

彼の結婚への嫉妬という醜い感情と、嵐が嵐でなくなることへの大きな不安。この誠意の感じられない行動が、本当に彼のすることなのかという疑問と、失望。そんなきもち。

 

結局、どんな運びで「結婚」になったのか、5人でどんな、どれ程の話し合いがあったのか、どんな思いが込められているのか、彼が今この時どう感じているのか、そんなことはわたしたちファンは知る由もない。もしかしたら、わたしたちも納得せざるを得ないような経緯や理由があるのかもしれない。

だから結局、信じられるのは嵐・二宮和也として見せてきた姿だけ。これから見せる姿だけ。

 

祝福はしない、死んでもしない。

でも嵐・二宮和也として、嵐と向き合う姿をずっと追い続けていく。彼が嵐として全力で走ってくれないと、ファンを思ってくれないとわたしは報われない。報われるって信じてる。

現在、心模様

 

当たり前なんてない。

それは、いろんなものを見てきてわかっていた。

わかっていながら、彼らには永遠に近いくらいにその存在を求めていたし、確信してた。

当たり前なんてない。

それを知ってるからこそ、毎日変わらず彼らがいてくれることに感謝し、尊敬し、憧れ、幸せを感じ、愛してきた。

 

そんな日々が、自分のなかにあったものが、なくなるときが来るだなんて。

いや、なくなるときが来るのはわかっている。

ただ、そのときが、今ではない。明日ではない。明後日でもない。と...

そうして毎日過ぎていって、永遠に近いくらいに、続いていくんだって思ってたことに気づいた。いつだって、「今ではない」って心の奥底で思ってた。

 

結局、当たり前だって思ってたのかな私。結局、目の当たりにしなければ、当たり前ではないってことに気づかなかったのかな。

でも、きっとそんなもの。休止発表の動画を見たときには、当たり前とか当たり前じゃないとかそんな価値観とは別のところに心はあって、ただただ悲しさ、寂しさ、恐怖だった。

 

なくなってしまう。私のなかの大事なものが。何にも変えられない宝物が。

もうそれだけで、それ以外なにも考えられなくて、なにも感じられなくて。

 

いつだってそばにいてくれた、いつだって寄り添ってくれた、そんな彼らが自分の知らないところで、いつの間にか心が散り散りになってしまった。そう思って、悔しくて恐ろしかった。こんなにも幕引きが呆気ないのかと寂しくて悲しかった。

 

こんなにも自分の目の裏に涙があるもんかと、それくらい泣いた。

 

発表後の夜に開かれた会見。「休止」の漢字2文字に感じた私の思いと、5人の嵐に対するスタンスは全く違った。

いつもの嵐。変わらない嵐。いつだってお互いを思いやって、笑顔で乗り越えて、前を向き肩を組み、突き進んできた5人。私が信じて見てきた大好きな嵐。

〝いつか笑ってまた再会、そう絶対 〟

そんな前向きな歌詞が似合う5人で、前向きになれなかった私の、それまで止まらなかった涙が止まった。

 

5人の嵐が大好き。それは、嵐自身がそうで。きっと、ファンやほかの誰よりも、5人でいることにこだわっていて、積んできた時間や経験から5という数字の大事さを身をもって知っている。当たり前じゃない、を当たり前にしてくれる。

5人でいることを諦めなかった。5人であることを守り抜いてくれた。

5人が、〝 嵐が大好きな嵐 〟を守ってくれた。

 

なんて人たちだろう。

こんなにも自分たちのグループに、ほかの4人に、誇りを持って、全てをかけて、余すことなく力を注ぐ。

 

〝 嵐が大好きな嵐〟が大好きで、むしろ、そうでなきゃこんなにも溺愛しない。ファン代表を名乗るつもりは微塵もないけれど、伊達にファンしてない人はみんなそういう思いなんじゃないかな。会見でも、5人でいることを大事にしてる、ファンが求めるまんまの、いつものまんまの、嵐だった。それだけで、悲しみのどん底の感情が、どれだけ救われたか。

 

でも、ファンが求めているから仲がいいのでもなければ、嵐を続けている訳でもなくて。本物の気持ちだからこそ、自分の中にすっと落ちてった。

ファンを大事にしようっていう誠意とは別のところに、きちんと、5人の絆がある。ファンも周りも関係なく絶対的に5人でいることにこだわる。そういうところが、本当に、他の誰にも、何にも、敵わないなって思う。

 

5人でいる、1度立ち止まる、けれども、その前に、この事実を受け止め、感謝を伝え合う期間を設ける。

 

嵐って存在のすべてが、綺麗で。でも、嵐という存在のすべてに嘘がなくて。綺麗事じゃなくて、綺麗。だから、こんなにも沢山の人に愛されるんだと思う。

彼ら一人一人の優しさ、強さ、謙虚さ、頼もしさ、積んできた努力、経験、才能。それが5つ合わさったときのとてつもない輝き。それは、自分たちを誇りに思い、お互いを思いやる絆から生まれる。

むしろ、5人だったからこそ、彼ら一人一人が優しく、強く、謙虚で、頼もしいのかもしれない。5人が今こうして輝いているのは、〝 5人で嵐〟ということだけは確かなことで、彼らのなかで当たり前だったから。

私たちが求める前に、5人のなかで、〝5人で嵐 〟が当たり前だった。

 

そんな5人を好きになれたことが誇りで、これだけは胸を張って言えること。今も胸を張って言える。

嵐を好きになってよかった!

 

本当の気持ちを打ち明けてくれた智くんにも、その思いを大事にしてくれた4人にも、最後まで5人でいられるように考え抜いてくれた5人にも、感謝の気持ちでいっぱい。

 

5人の幸せが、自分の幸せ。

 

5人の幸せが、いつまでも5人でいることであることが、自分の幸せ。

 

嵐が進むときは一緒に進む、ついていく。

立ち止まるときは一緒にひとやすみする。

 

どうか、2年後の先の未来のどこかで、また会えますように。心の中に居場所を作っておきます。

 

いつだって一緒にいたい。いつまでだって待ってる。同じ夢を見るために。まだ夢の途中。

 

今日も未来もsmile again

 

そう思って、これからの毎日も大事に過ごしていこうと思う。

今は、寂しい気持ちも、悲しい気持ちも一緒に、大好きな5人と、5人を応援するファンの皆さんと、残してくれた時間をいっぱいいっぱい楽しみたい。心からのおめでとうとありがとうを伝えたい。

アニバツアー参戦して。やっぱり翔くんが好きだってなった話。

 

 

翔くんはいつもファンの気持ちを汲み取ってくれる。

 

不安とか、モヤモヤとか、全てを掬って、消し去るように。

言葉にして表してくれる。

その言葉が、優しくて、力強くて、安心をくれて、包み込んでくれる。

 

智くんや潤くんが言ってたけど、

いつも人に対する心遣いを持った上で、伝えたいことをどのように表出させるか考えながら、言葉というものに向き合ってる。

言葉にストイックな人なんだと。

 

言葉は、自分の思考や感情を細かく表現するためのツール。

その言葉で人の心が如何様にも動くことをちゃんと知っている。

知ってるだけじゃなくて、深く理解している。

 

でも、翔くんの言葉が心に響くのは、

彼が言葉だけの人間でないことを知ってるから。

 

彼の言葉には嘘も偽りもないことが確信できるだけの積み重ねを見てきたから。

 

何事にも真正面から向き合い、時間をかけて丁寧に。

考えることと挑戦することを諦めたことがなかったから。

人の心の、痛みや辛さもわかるから。

楽しいことも嬉しいこともわかるから。

 

 

そんな翔くんが改めて私は好きなんだな。

 

と気づいた。

 

言葉にすることを

恐るでも、躊躇するでも、

恥ずかしがるわけでもなく、

嵐としての20年を振り返って、

それを言葉にしてくれて、

本当に本当に嬉しかった。

 

テレビで観て、雑誌を見て、曲を聴いて、

コンサートで直接会って、

そうして応援していても不安になるときがある。

今自分が感じている幸せが、一方的なものであるのが怖い。

今が、急になくなる日が、来てしまうのではないかと。

嵐自身の手で、終わりを迎える未来を、どこかで描いてはいないかと。

嵐が、翔くんが、嵐でいることに対して、どういう感情を持っているのか。わからなくなるときがある。

 

嵐の5人の、5人でいる姿を見ていれば、自分たちでなくしてしまおうなんていうところは、微塵も見て取れないけれど、

外野の情報に、ふと揺らされることもある。

 

 

20周年を迎えることが出来たら、

終わったら、

嵐がいなくなってやしないか。

 

この先何年も続く未来、

私はそれを望みながら

見えなくなっていた。

 

先が見えないまま、不安な感情に蓋をして、

今この瞬間を心から楽しもうと、

ツアーに臨んだ。

 

嵐が、心から嬉しそうにファンの声援に応える姿。

気持ちを届けようと、全力で歌って踊ってくれる姿。

今までを振り返りながら、5人でいることを楽しむ姿。

 

あぁ、よかった。本当に。

これもほんとのきもち。

でも、

 

最後の挨拶で、翔くんが言った。

「嵐が好きな人?」

「嵐以外考えられない人?」

ファンに尋ねたあとに、少し微笑んで、

「奇遇ですね。俺もです」

そう言った。

 

「20年続いてきたこともすごいけど、

『5×20』

この“5”の持つ意味が、

変わらずあり続けることが奇跡」

 

「嵐というものが夢。

これからも

みんなに沢山の夢を見せたいし、

俺らが夢でありたい。」

 

「登山をしてきたような感覚。

5人の中の誰かが崖から

落ちそうになった時には

腕を掴んで引き寄せたり、

休もうといったときには立ち止まり、

...頂上があるのかはわからないけれど

これからも5人で登り続けていきたい」

 

(※ニュアンスです)

 

 

泣いたよね。

 

泣きました。

 

その言葉一つ一つに。

 

 

あぁ、翔くんは自分と同じ気持ちで、

嵐を見つめていてくれたんだと。

 

ちゃんと、私には底知れない程の

深い愛を持って、

嵐でいてくれてたんだと。

 

ここまで嵐に対しての思いを言いきれる翔くんが、すごくかっこよかった。

 

その顔は、なんだかちょっと恥ずかしそうにも見え、でも凄く誇らしげで、迷いのない強い目をしていた。

たくさんの悔しさや痛みを経験してきただけでなく、乗り越えてきた。

支え合いながら辛いことも嬉しいことも分け合い、突き進んできた。

ひとつひとつの経験が、きちんと積み重なって、翔くんと嵐が作り上げられている。

 

嵐にかける思い。

その思いが、翔くんの全て。

 

 

そんなふうに感じた。

 

 

翔くんは、嵐は、

これからも自分たちの意思で

嵐でいてくれるんだと確信できた。

 

嵐5人の総意であると思えたのは、

5人の絆ゆえ。

 

 

そこまでわかったら、

よかったなと思った

それまでのコンサートの3時間が

もっともっと輝いた。

 

それまで嵐と過ごした時間が、

もっともっと愛しくなった。

 

 

 

...

 

 

 

翔くんは本当にすごい。

 

ここまで心に響かせてくれる翔くんの言葉が大好きだし、

やっぱり心に染みるのは、紛れもなく翔くん自身が言ったことだからだと思う。

 

 

なんの不安もなくついていける。

 

騒がしい未来が向こうで

きっと待っているから。

(※引用)

 

連れてってください。

私たちには想像もできないほどの

幸せに満ちた

光り輝く未知の世界へ。

 

 

ついていく覚悟は前々からあったけれど、

もう大丈夫。

ありがとう翔くん。

 

嵐になってくれてよかった。

嵐の翔くんに出会えてよかった。

 

翔くんが大好きだ。

 

ありがとう翔くんのいる2018年!!!!!

 

いぇーいいぇーい!!!!!

 

 

 

無題

 

嵐さんだって人。

アイドルだって人。

 

いくらアイドルだってどこまでも特別に扱ったって、それはいつだって一方的。

 

勝手に好きになって勝手に応援してるだけ。

ファンは自分じゃなくても他の誰かでも成立する。

 

裏切られた気持ちになってるのは自己満足。

 

いつだってファンの気持ちに応えようと努力してきてくれたけど、

そもそもファンの気持ち一括りになんてできないし、

そんな一時の感情で変わってしまうような人の考え方に、アイドルは自分の人生までかけなくてはいけないの?

 

そう考えて黙ってた。

黙ってることが彼らのためだと考えたから。

 

そして先程嵐友に送ったLINEの一文

「ほんとマジなんなの馬鹿なの??」

 

話の流れで送った本心。

前文と言ってることと反対すぎ。滅茶苦茶。

 

20周年控えてるんだよ。

嵐として歩んできて大きな節目を迎えるんだよ。

こんな大事な時期に自ら波風立てることが許せない。

本当か嘘かなんて知らない。でも、疑われるような行いがあるのは事実。

 

うぅ...悔しい悔しい。

真っ当な(わたしが思っている)ファンとしての“考え”と、実際わたしが抱いてる“感情”は全くの別物。

 

恋愛沙汰=20周年を大事にしてないっていうのは完全なるわたしの押し付けです。

嵐には嵐5人分の価値観があるし、ファンはファンの分だけ価値観がある。

生き方の価値観と、アイドル嵐としての歩み方の価値観。

 

彼らの生き方と歩み方に対する考えを受け入れられなくても、その考えはわたしが受け入れる・受け入れない関係なくもう彼らの心にあるもの。

 

でも、残念ながらわたしには到底受け入れられません。

そんな考え方クソ喰らえじゃ。

恋愛なんてしてほしくない。

遊びでも本気でもどっちも無理すぎる。

結婚なんて絶対嫌だ。断固拒否。

 

でぇぇも好きなの!!!!!

嵐さんが泣いてるところは見たくないの!!!!!

苦しんでほしくないの!!!!!

 

悔しいけど、大好きなんだよ...

そして嵐さんを好きになれたところだけは

自分大好きって言えるから。

 

だから、どんな道を選んでも、ファンからの声を耳にしたときに、後悔してほしくない。

 

女と一緒になることに幸せを見出すのであれば、本当に不本意だけど、それが幸せだって言われたら何も言えない。

受け入れられないけど、もうそれが全て。

幸せであってくれなきゃなんの意味もない。

 

今本当に思うことはひとつ。

 

嵐でいることになんの迷いもなく、今も、これから先もずっと5人でいることが幸せだって心から思っていてほしい。

 

本当の心のうちなんてわからない。今までもこれから先もわかることなんてない。明日どうなるかでさえ誰もわからないけれど。

 

でも、信じている。

5人が今、嵐として幸せな道を歩んでいると思ってくれていると。これから先の嵐としての未来を描こうとしてくれていると。

 

そしたらわたし、その未来一緒に見たいよ。

絶対ついて行く。

もう離れることなんてできないところまで来た。

離れるには、いい景色を見すぎた。

いろんなものを貰いすぎた。

あなたたちのいる毎日はこんなにも楽しい。

 

 

 

だからもうほんと、

どうかずっと幸せで。

嵐でいてください。

 

夢の時間1/14

 

今更ながらあの日あの時のことを振り返ります。

 

嵐さんを好きになってからの夢。

 

嵐さんに会うこと。

コンサートに行くこと。

 

あの幸せそうな空間に自分が居ること。

 

長いこと夢にしてきた夢が、

やっと実現したのが今となっては

もう2年前。

まだ2年前。

 

大好きだった5人が目の前にいて

大好きな歌を歌っていて

テレビ越しにしか叶わなかった

いろんな顔を見ることができて。

ファンを前に、圧倒的な存在感を持って

最高のパフォーマンスをする彼らに

アイドル嵐の凄さを感じた。

 

嵐が大切にするコンサートという唯一無二の絶対的空間を知ってしまったあのときの、言葉で言い表せないほどの感動。

 

あのときの感動は今でも忘れられない。

 

大好きな彼らと同じ時間を共有することは、なんて幸せなことなんだろう。

大好きな彼らがファンのために沢山考えて、準備して、作り上げたコンサートに、自分がいられることは、なんて嬉しいことだろう。

 

大好きな彼らのことを、それまで以上に、

大好きになった瞬間でした。

 

あれから、時が経ち。

 

1か月前、嵐さんのコンサートにいました。

 

楽しくて、楽しくて、楽しくて...

 

当たり前じゃない、非日常の時間。

 

年に一度、会えるか会えないかの空間。

 

その大切さはわかってるつもりだから、

一瞬一瞬の彼らの表情と、歌声と、言葉と、姿と、会場の熱気と、その空間が作り出す一体感を、自分の中に焼き付けようと、五感を奮い立たせていた。

 

こんな気持ちにさせてくれる、嵐さんが本当に大好きで、

こんな気持ちになれるわたしが、嬉しかったりする。

 

こんなにも、夢中になって、楽しくて、笑えて、幸せだって胸を張って言えるわたしが、うれしいのです。

そんな存在の彼らに、会えたあの時間は、本当に本当に幸せだった。

 

それが、

まさかの、

嵐が繋いでくれた縁で、

翔くん大好きな4人で、

オーラスで、

アリーナで、

翔くんが近くに来てくれて、

 

一生忘れられない時間になりました。

 

 

嵐さん、

翔くん、

 

本当に最高の時間をありがとうございました。

 

翔くんが、最後の挨拶で言っていたように、

この夢の時間を糧に、

日々をひとつずつこなしていきたい。

 

とりあえず、あれから1ヶ月。

 

乗り越えられたのは、あの日があって、

あの日からも嵐さんの存在があるから!

 

どうかどうか、

 

嵐さんの夢が、1日でも長く続きますように。

 

5人が、光り輝く道を歩んでいけますように。

 

その道に寄り添うファンに愛され続けますように。

 

そしてまた、

 

コンサートという最高の空間で、

嵐さんの笑顔にまた会えますように。

 

 

 

 

2018年も嵐に愛を叫べ

 

あけましておめでとうございます。

 

去年同じタイトルで嵐さんへの愛を綴ってから早1年。

個人的に生きてきて一二を争うぐらいに早1年だった気がする。

 

2017年はいろいろあったなぁ。

 

推しに泣かされたこともありました。

不安いっぱいになったこともありました。

 

そんなことは今は昔の話です。

 

翔くんが嵐として、お仕事している姿を見せてくれる。笑いかけてくれる。

 

それ以上大事なものはやっぱりないようです。

 

嵐である翔くんが好きで、

智くんが好きで、

潤くんが好きで、

相葉ちゃんが好きで、

にのちゃんが好き。

 

5人の嵐が好き。

 

そして、大好きな5人が、

たくさんの人に愛されていることがこの上ない幸せ!

 

コンサートをしても席を埋められなかった時代から、今やテレビで見ない日はなく、歌番組ではラストを飾り、年末は雑誌の表紙にいくつも顔がある今。

 

贅沢をさせてもらってるのは間違いなくファン。

 

大好きな人を、いろんな形で見ることが出来る、応援することが出来る。

 

そして、それが出来るのは、嵐さんが持つ人柄と才能と魅力と、この上ない努力が、たくさんの人たちから憧れられ、魅了し続けてるから。

 

たくさんの人たちが、嵐さんに背中を押される瞬間を感じ、また、彼らの背中を押したいと思っているから。

 

わたしはなんでこんなに嵐さんが大好きなのかな、と考えてみると

嵐さんは自分にとって

【最上の憧れの存在】だからなのかな

と思う。

 

個人の人柄と、

そして

グループ嵐としての関係性。

 

控えめで、目立つのが好きじゃなくて、

謙虚で、気遣い屋さんで、

どんな人も掬い上げるような優しさを持っていて、

でも、自分の意志は持っていて、

努力家で、真っ直ぐで、

前向きで。

 

そんな5人が作り出す一体感。

出すというより意図せず出る一体感。

 

互いの思いを大切にして、尊敬して、

一緒に居られることを恥ずかしがらずに感謝

できる関係性。

だからこそ、素直な気持ちを伝え合える空気感。

どんなことも5人でいれば乗り越えられるという自信とも言える自負。

 

この5人について行けば、

憧れの世界に連れていってくれる。

いろんな感情を経験することが出来る。

いろんな景色を見せてくれる。

その感情も、景色も、

きっと自分にとってかけがえのないものになるんじゃないかと、思えたこと。

 

そして、

 

自分が生きていく上で、こんな人間でありたいと感じ目指していく方向を示してくれていること。

 

これが、

自分が嵐さんをこよなく愛する理由なのかと思うのです。

 

私は嵐さんに出会うことが出来て幸せです。

心の底から幸せです。

 

嵐さんを応援する毎日が楽しくて、

その嵐さんが友達の輪も作ってくれて、

大切なものをたくさんくれました。

 

今もたくさんもらっています。

幸せいっぱいです。

 

この原理からいうと、

大好きな翔くんが、嵐さんが、

アイドルとして私たちのそばにいてくれる限り、きっと私はずっと嵐のファンです。

 

彼らが嵐であることを望んでくれる限り、ずっとずっと嵐のファンです。ずっとずっとあなた達の進む嵐という道についていきます。

 

嵐さん、大好きです。

いつもいつも、本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

あー!!!!!

重たい愛綴ってたら、浸りモードだわぁ!

幸せだわぁ~~~~~!!!!!

 

以上!

愛叫んで満足です。

2018年もたくさんたくさん、

嵐さんを応援していきましょうね!

 

 

 

コンサート何ステ

 

前回の投稿では、

絶望的な気持ちで思いを綴っていたのですが

何がどうして。

今年のコンサート

参戦できることになりました!

 

本当に不思議なもので、

「 ご縁に恵まれていた 」なんて

参戦した人からはよく聞く言葉ですが

 

そんなご縁なんてうまいもんあるわけないだろ💢💢

 

なんて、努力も人脈も足りない自分には

感じられて仕方ない。はずだったのが。

 

本当に 「 ご縁 」はあるんだなぁ...

何が結びつけた縁がわからないし

わたし自身の積んだ徳が十分とも思わないし

これは本当に、ひとえに。

お友達の温情だなぁ...

 

これはもう、

(日頃積む徳が足りない自分としては)

一秒一秒無駄にしないように

嵐さんを感じなければ!

嵐さんに会う前に、ウキウキとともに

身の引き締まる思い...

 

 

今回、お譲りしてもらえたのが

なんと2公演。

 

少し、心に引っかかりがあったり。

 

というのも、自分自身一公演も入れなかったツアーというのがあるからです。

ツアーに参戦する方を羨ましく思うのは勿論、複数公演参戦する方に対しては、正直あまりいい思いを抱かずにいたのがわたしという心の狭い人間。

 

それが、今回、自分自身が複数公演参戦できることになり。これまでの自分は、今の自分を別の他人として見た時に、妬んだりしないのかしら。

 

結局自分だけがよければいいのかな...

 

積んでもない、転売してもない、マナー違反はしていない、なのになぜ、こんなふうにたまに、チラチラ後ろめたい気持ちが見え隠れしたりするの?

 

ルールを守るファンで、コンサートに参戦できない方がたくさんいるこの現状。守るのに、当たらない、会う機会を与えてくれない、そんな今だからこそ、ファンとしてジレンマを抱えてる。

 

ファンのあいだに格差があるのが、今の問題なんだと思う。じゃあどうするか?

この前、定価多ステの方の考え方を読んだんだけど、定価多ステを肯定するための理屈は通ってるし、理解はできた。

ただ引っかかるワードがありまして、、

積んでる人は、嵐が好きな自分が好きなだけの自己満足の人。なんだって。

 

...

過去一度は本当に手を染めようとしました。

 

結局、泣いて泣いて諦めたけど。

 

嵐さんに会えないのは、本当に辛くて、キラキラした笑顔の5人が輝く最高のステージを想像しただけで胸が震えて、嵐のファンとしての、自分の確かな存在を、この一瞬一瞬に感じることが出来ないと思ったときの虚無感と絶望感。

 

嵐さんの存在を、身近に感じることで

嵐のファンとしての自分の存在意義を、

この場所に確かめることが出来ると、

わたしは思うのです。

 

彼等がわたしたちファンのために、たくさん考えて、たくさん時間をかけてきて、大切にしてくれている絶対的空間。嵐さんとファンが作り上げる幸せしかない空間。

 

この場所にいられないって、ファンなのに、どうして?ってわたしは思う。

 

だからといえ、コンサートに行けなくてもファンを辞めるつもりは毛頭ありませんが、このジレンマで、ファンのあいだにも参戦の形を巡っての確執があるんです。たぶん。

 

1ステとか多ステだとか、

定価とか積むとか、ね。

 

嵐さんが心から好きで、応援したくて。いつでも自分のする応援が嵐さんの背中を後押しするものであってほしいし、自分のとる行動何一つとしても、嵐さんの足を引っ張るものになんてしたくない。

でも、心から応援しているのに、嵐さんに会う機会が与えられないなんて、そんなのはおかしいでしょ。

いつ会えるかわからない未来を、不確実すぎるこの先を、ファンとして「応援しているなら」見据えるしかないなんて、なかなかに苦しすぎませんか?

 

同じ気持ちでいる人が、

きっといるんだと思うんだけどなぁ。

 

わたしとしては、心から嵐さんが大好きで応援している人全てに行き届くチケットになってほしいと、思います。

一年に一度の1公演。すべての人に与えられるものになってほしい。

 

でも、

そんなことは無理なので。

 

みんないろんな葛藤と闘って、

 

結局は、その人の思いで、参戦の形は

変わっているんだと思うけど。

 

 

今現状、最悪、嵐さんが困らなければ、嫌な思いをしなければ、オッケー。という彼らと私たちの暗黙の了解な気がします。

今年はQRコードになったけど、なんか全く変わらない気がする。いや、全く変わらん。

 

だから、ファンクラブに入会してる人一人につき一公演入れるシステムがほしいと、わたしは切実に願う。

 

 

先にお話した定価多ステの方のツイは、

わたしから見ると、全部の公演行くような人に、1つのチケットも当たるか当たらないか見つかるか見つからないかっていう人の気持ちなんてわかんないと思うけどね!

嵐が好きな自分が好きなだけの人、なんて。

そんなことは言う権利ないと思うけどね!

 

来年以降、自分がいつか、高額転売に手を染めてしまうことのないように、こんなファンは嫌だ、と思っている人と同じにはならないように、はずれて泣いて、それでもいつか堂々と嵐さんに会える未来がありますように。

 

できれば、コンサート事務局になんとかしてほしいんだけど。。

 

 

以上、コンサート参戦の形についてのまとまりのない私の愚痴でした~!